出張でしばらく書き込ませんでしたわ。
昨日の夜も、幕張から帰ってきたのですが、クタクタで……と言いつつ、うっかりそのクタクタな状態で「Destiny2」を始めてしまい、「砕け散った領域」でウォーブリンガーの塔から滑り落ちて復帰不能な箇所でリスポーンを繰り返してリセットさせられたり(これは2度目)、クルーシブルでハマってヤケになったりして、気がついたら日付を越えてて、さすがに行動不能に陥り、そのまま寝ちゃいました。てへ。
いや、ま、ホント、展示の説明ってほとんど立ちっぱなしだったらこの2日間はしんどかった。
適当にサボってたけど、それでも脚も筋肉痛になるし。
昨日は結構早く家に戻れたので、そのままおとなしく寝てればよかったのに、そんなカンジで、それに今日はさらに寝不足が加わるという。
ということで、寝不足な頭でニュースとか見てたら、今度は瀬戸内さんと細木数子さんの訃報。
瀬戸内さん。
なんだか、人って死ぬとどんな人でもいい人にされますよね。
瀬戸内晴美といえば、Kがまだまだ子供の頃に「男の人はみんな浮気する」とか決めつけられて、結構、Kの恋愛不信の元凶の一部はこの人にあると思うのですよ。
自分が男運悪かったからって、全ての男が悪みたいに言わないで欲しい。
女性の立場が弱いって社会の状況で女性の味方的な捉え方をされて評価されているように見えるけど、そうじゃなくて、この人は恋愛が男女同等というトコロを否定してるんですよね。そこを分けて考えないと。
恋愛の責任は男女同等にあるんだと思います。
Kは、テレビでも何でもこの人の顔を見る度に、元気なときも元気でないときも、落ち込んでるときとかでも「おい、てめえか!」ってカンジで闘志が湧いてきてたのですが……でも、そうですか、死んでしまいましたか……。
……残念です。
そいや先日「アイの歌声を聴かせて」で使われているものとよく似たアイディアが発表済みの他のSF小説にあるという話がネットのレビューで書かれていた。
山本弘さんの「アイの物語」。
山本弘さん、なつかしい。
つか、すいません、Kは、「時の果てのフェブラリー」しか読んでません。
でも、「フェブラリー」は、最初の文庫(全裸のフェブラリーが表紙のヤツ)のしかも初版で持ってたぞ……と自慢してみたり。
2011年の震災の時に、実家の本棚が雪崩を起こして、その時に整理してしまったのだが……。
K、日本のSFはあんまり読まないし、特に今世紀に入ってからはSFそのものをあまり読まなくなったので、「アイの物語」は未読。
なので、出張中に読んでみた。
いや~、いい話でしたよ。
AIとの戦い負けてほとんど文明も失い衰退しつつある人類。
アンドロイドの一人に捉えられた主人公が、そのアンドロイドから、かつて人間が著した物語を読み聞かせるという話。
アンドロイドが読み聞かせているということになっている複数の小編、そして、最後に語られるそのアンドロイド自身の物語をアンドロイドと主人公の掛け合いのインターミッションで繋いだ短編集ですね。
そのレビューの方も別にパクってるとか、元ネタがあるとか、そういう話ではなくて、あの映画は結構既視感のあるトコロがあるという指摘で、そういうポイントのいくつかとして「アイの物語」を例に上げてたのだが。
実際、読んでみると、特に、収録されてる短編の2つ、「ミラーガール」と「詩音が来た日」について、「アイの歌声を聴かせて」に出てくるネタに通じるモノがある。
「詩音が来た日」は、そこに出てくるAIの名前、それに、「がんばるぞお、おう!」のかけ声。
「ミラーガール」は、そこに出てくる子供向けの玩具。
でも、どれも映画の基幹となるアイディアやストーリーにはかからないものですわ。
そもそもの2つの話は、それぞれで考えているAI成立の条件が全く違う。
根本からして別モノの話。
多分、吉浦康裕さんは、「アイの物語」を読んでいると思います。
で、これは、アレです、「これってアレですよね」、「あ、わかる?」、(ニヤリ)……ってヤツなんですよ。
もしかしたら、さらには、吉浦さんは、山本さんと知り合いなのかもしれません。
それにしても、山本弘さんって今はこんなの書いてるんですねえ。
「アイの物語」はホントにいい話。
どの短編も全部良いけど「詩音が来た日」がイチバン好き。
リアリティいっぱいの迫力で描かれる過酷なお年寄りの介護の現場の中で、詩音が心を得ていくプロセス、詩音がお年寄りに歌って聞かせる歌に心がこもっていくところとかがなんとも素敵だし、詩音が最後に至った人間との向き合い方にははっとさせられるというか。
いや、K的には、レビュー読んでどきりとさせられたけど、これを機会にいい本を読めたので、良かったですわ。