我々のサークル「きゃんでぃ亭」のメンバーである○川氏が亡くなりました。
SIO氏から連絡をもらったのは、3月22日の朝でした。
事実を飲み込み、さらに、それをネットに上がる場での文章の形にする気分になるのに、時間がかかりました。
Kにとっては突然でした。
SIO氏経由で知り合った彼と直接会う機会はそんなにありませんでしたが、おだやかで、それでいて流されない考えを持っていて、自由で、楽しそうで。
飲み会とか、あと、ふらっとイベント会場にやって来てくれたときとかのあの笑顔を思い出します。
いろんな雑学に通じてて、センスがあって、人にはまねのできない発想やものの考え方ができて、レトロなドラマや特撮と美少女ゲームの萌えを強引に結合させた彼のストーリーには衝撃を受けましたね。
Kが「きゃんでぃ亭」を始めた動機の少なくない部分が彼の存在でした。
面白いと思ってくれた人は「きゃんでぃ亭」の外に拡がり、ネットやサークル活動で知り合いがどんどん増えていったときには、やっぱり○川さんはすごいなあと思いました。
当時の泡沫出来たてサークルの「きゃんでぃ亭」が中堅どころのサークルの皆さんに声をかけていただいてお付き合いさせていただけたのは、Kなんかのせいじゃない、○川さんのおかげでしたよ。
SIO氏から連絡をもらったとき、自分がそんなに衝撃を受けるとは思ってなくて、むしろ、ずっと長い付き合いだったSIO氏が大丈夫か心配してたのだけど、でも、だんだん、なんか胸の奥に重くつかえるものがあるのに気がついて。
気がついたら、しんどくなってた。
自分にとって大きな人だったんだなあって改めて思って。
今となっては古い美少女ゲームの数々、「ToHeart」、「痕」、「One」、「Kanon」、「AIR」……いろいろバカな話をして盛り上がったなあと思い出される。
「仕事って働かなくていいだよ」とか、「空の鞄を持って出て、それを帰りに新宿の本屋で買った本でいっぱいにするために出勤するんだ」とか、当時、精神的にもお子様だったKは、なんかスゲーと、その豪放磊落ぶりに憧れ混じりに感嘆したりしたものですが、でも、現実世界の仕事に不真面目に取り組んでたら身体を壊して寿命を縮めるなんてことはなかったはず。
○川さんが、マジメで、いい人だってことは、もちろん、わかってました。
水曜、木曜あたりが一番しんどかったけど、だいぶ精神状態が正常になってきた。
「きゃんでぃ亭」のページに告知をして、それから彼の文章が残ってた投稿SS掲示板のデータをサルベージして閲覧できるようにしました。
○川さんなら、素で、「そういうことはやらなくていいです」と言ったと思います。
でも、やりますよ。
あなたは「きゃんでぃ亭」の重要なメンバーなんだから。
やるなと言われてもやりますよ。
本当にイヤだったら、Kより長生きするべきだったんですよ。
……なんてね。
なんてね……。
……なんてね……。