「きゃんでぃ亭」のKのブログ

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富嶽三十六景 神奈川沖浪裏

今日は普通のコーヒーフラペチーノ。

そういえば、2018年8月にアメリカの科学雑誌のサイエンスに日本の研究者の論文不正の記事が載って話題になったことがありました。

発表されている世界の論文の中で日本のものはごく僅かなのに、不正によって論文を撤回した世界の研究者の上位10人のうち半分を日本人研究者が占めるということが書かれていて、まあ、その後論文不正の多さは日本の文化に根付くものだとかいう記述もあり(オタク文化も影響しているらしい)、はっきり書いてないけど、日本人の研究者に対する疑いの目を向けた記事でしたねえ。

ちなみに、記事トップのイラストは、富嶽三十六景 神奈川沖浪裏をパロったもので、研究不正の大波に日本が呑み込まれるというもの。

2004年だったかの大学の独法化の頃からですかねえ、日本の研究力が減衰し始めて、2010年頃にはそれが顕著になってきていろいろ騒がれました。

論文数がよその国は増えてるのに日本は横ばいとか、あの国に抜かれたとか……。

……なんか、今の給料の比較の話と似てるなあ。

最初は、海外からは「日本の研究者、どうしちゃった?」と心配されてました。

そのうち、それが「ああこいつら、もうだめだ」というあきらめになって、そのうちさらに「コイツらは駄目な連中だ」という蔑みの目になっていって、それがサイエンスの記事が書かれたその頃でしたねえ。

サイエンスの記事は、多数の論文に不正が見つかった一人の日本人研究者を追跡しているのですが、その人は(どうも、その不正を苦にして)自殺してるのですよね。

それでも、記事は、本人が死んでも論文は残っている、それを読んだ研究者を誤った方向に導く可能性があり、著者が死んだからといって、その人の論文の調査を止めるべきではないと主張しています。

Kもそう思います。

死んじゃったんだからもういいじゃない、というのちょっと違うと思う。

死んでしまった人への気遣い、死を悼む気持ち、死者への尊厳というのはそれはそれであるけれど、調査は別。

そこで調査が止まると、今度は生きてる人間がすごくひどいことになる。

死とは別に、調査は調査として毅然とやるべきなのだと思います。